2016年08月

2016年08月20日

絵日記、作文の「どう思ったか?」は「ポジティブな事を書かなくても良いんだよ」と教えたい!

息子の小一夏休みの宿題を見ていて思った。
宿題はドリル以外が7つもあり、そのうち半分くらいが文章を書かせるものだった。

A.絵日記(2枚)
B.お手伝いをやってどう思ったか?(道徳の教科書内)
C.朝顔の花、実の観察
D.読書カード 心に残る場面の絵と文を書く。(文章は本から抜き出す) 

AとBは出来事や事実だけでなく、思った事を書かなければならない。
宿題はさっさと終わらせたかったし、まだ1年生で管理能力もない息子なので、これらの宿題はつきっきりで見てあげた。

1年生から放置でできるならそうしたいが、こう言った内容を出されるとなかなか本人に任せるわけにもいかない。「どうやっていいのか?わからない」と言われてしまうものだ。
見るまでは結構嫌々だった私だが、やはり見てみると色々思わさせられることもあった。
夏休みの宿題は学校で教えて貰えない事を家で教えられる絶好の機会だとある意味思えたのだ。

ただし、親がきちんと見れる場合に限ってだが。

で、私は作文の書けない子でとても苦労したから子供にはそういう思いをさせたくないと思っている。
とはいえ、作文が苦手だったのは小学生の間だけで、中学校に入ってから一気に文章を書けるようになった経験があるので、自分なら子供にどうしたら作文が書けるようになれるか?幾つか伝えられる事がある。

作文がかけない理由
1.文章を書く力が足りない(語彙力含める)
2.何を書いていいのか?わからない。

大きくはこの二つに尽きるだろう。
私の場合、後からわかったが2だった。
文章を書く力が劣っていたわけではなかった。至って普通だった。
だが、「作文」となると何を書いていいか?わからず手が止まった。
授業中、書いているふりをしては消して、終わらないからと持って帰った。

そして、家で泣きついて親に文章を考えてもらう。
この繰り返しだった。

そして、親の前ではああだこうだ言われるのが怖くて、一文も書けなかった。
だから全部文章は親が考えて、それを書き取った。
自分はすごく苦手意識を持っていたからそうせざるをえなかった。
「書き方を教えてくれればよかったのに」とそう思う。

よく、国語の教科書には「作文メモを書こう!」といったページがあるにもかかわらず、実戦では時間がの関係なのか作文メモを書く授業はほとんどなかった。いきなり原稿用紙を配られて書き終わった人からおしまい。これでは上達するわけもないし、できない子は途方に暮れるのみ。
やはり、書き方というのもはきちんと教えてあげたいなと思った。
だから、今回息子には5W1H的なものを質問して、メモがきを残した。これを見ながら文章にした。
とはいえ1年生の宿題レベルだと5W1Hで埋まってしまう感じだ。
なので難しいものはない。

ただ、最後に「どう思ったか?」などを書くのが醍醐味であるので、そこを息子に「どうだった?」と聞いてみると、

「え?これって『楽しかった』とか?そういうの書かないといけないんでしょ?」
と最初から嫌そうな顔をした。

息子は私が中学校の頃に持った疑問のような事をこの歳で突っ込んで聞いてくる。
自分の気持ちに素直な子なのだと思う。だから、きっと楽しくもないのに「楽しかった」と書く事に違和感を覚えるのだろう。だから嫌そうな顔で聞いてきたのだ。

私は
「いや、別に『楽しかった』とか書かなくていいよ。『暑くて喉が渇いた。』とか『疲れた』とかで」
と。
そしたら息子は素直に話を聞いて、そう言った類の感想を述べ、それを書く事になった。

息子のようにネガティブな気持ちばかり出てくる子や何も感じない子に無理に「楽しかった」とか書かせようとするので、作文が書きにくいと思う子が出てくるのだと思う。
もっと、見本の文章などに、こう言ったネガティブな気持ちが書かれているものや、何も思わなかったという感想が書かれている見本があればいいのになと思う。
そういうのがあれば、「こんな風に書いてもいいんだ」と普通に文章を書くことが嫌ではなくなる。

私もずーっと苦手意識があったのだが、それがなくなったのはこう言った類の経験があったからだ。
中1の国語の授業。教科書で「谷川俊太郎」を扱った。その際、若い女の国語の先生が谷川俊太郎の詩集を読んでくれた。そのある意味稚拙な内容の詩集に衝撃を受けた。

「へそのゴマ」

しかも、内容もなんてことない。
あの谷川俊太郎が書いているなんて思えない。
そんな素朴な詩がたくさん収められていた。

その時、
「私、文章書いていいんだ」と思ったのだった。
「こんなことでも書いていいんだ」と。

そして、ちょうどその頃、今までずーっと枯渇していた私の感情も溢れ始めて、家でもノートが手放せなくなった。今考えると、小6の頃からその予兆が出始めており、作文も少しは書けるようになったり、ある部分では先生に褒められるようになっていたりしていたので丁度良いタイミングだったのかもしれない。

小学生のうちは文章の基本と、どんな感情でも素直に表現できるようにする事が大事なのではないかなと思う。先生に気に入られるような模範的な文章を書けるようになる必要はないと思うのだ。
第一、国語の教科書に載っているような文章は完璧すぎる。作り話にも程があるなと思う。起承転結がかなり綺麗に出来ており、だいたい、斜めな感情で入った「私」が「転」で、衝撃を受け、ポジティブになるというような話。現実はそんな面白く出来ていない。(私が子供の頃の教科書の話。現在の教科書については知らない)

だったら、描写に力を入れるとか、ひたすら描写。とことん描写。それで400字埋める。
または、とにかく「やりたくない気持ち」をいろんな角度から書いてみたり、「やりたくない理由」をひたすら掘り下げてみるとか。途中から空想の世界に入ってしまってもいいと思う。
あとは、何もそのテーマについて思い浮かばない今の自分についてひたすら書いてみるとか。

そういうのをやりまくっているうちに、きっと上手な締め方がわかってきたりするものだ。
最初から綺麗にまとめようとか思わなくていいと思うのだ。

ただ、やはり大人のアドバイスがあったりする事で、いろんな締め方を知ってみたりして、文章の向上は続けて欲しいものだ。
そうやって、文章を書く楽しさを知ったり、自分なりのスタイルを追求してみたりに繋がっていけば面白いのではないかと思う。

文章を書くのが楽しくなるようにしてあげたいなと思うところだ。
その為にはやはり、みんなが「先生に怒られるからやらない」と思っているようなものを先生が提示してみるというのが効果的かなと思う。
それは難しいと思うので、まずは親が無理してポジティブな事を書かなくていい事を伝えてあげるのがいいと思う。
また、思い浮かばないのなら、「興味がないから思い浮かばない」とかそういう展開に文章にできるように、語彙力や表現力を上げてあげたりするのが良いのではないか?と思う。


 

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educa MaMa saya at 00:07|PermalinkComments(0)文章の練習 | 小学生

2016年08月14日

チャレンジタッチ算数 又クレームかな? 悪い応用問題 良い応用問題

チャレンジタッチで息子が間違えて怒っている問題がまたもやあった。
その問題は 下記の写真の問題だ。



大人だったら、一見簡単な問題なのだが。
息子は下記の部分で間違えた。



ペンギンが5羽いました。
3羽帰りました。
数の違いは何羽でしょう。

私は、日本語としてはおかしいと思うけど、
5羽と3羽を比べると「数の違いは何羽でしょう」というのが
あっているという息子の主張は確かにおかしくないなと思う。

確かに文章の流れ的に、日本語的には最後は
残りは何羽になったでしょうが一番綺麗だ。

でも、5-3=2を表すと言う問題で、
細かい指示がないのであれば、強引かもしれないが
「数の違いは何羽でしょう」でも
いいのではないか?と思えてしまう。

国語の問題なら確かに不正解だと思うのだけど。

そういう意味で、この問題を出す意図がよくわからない。
ましてや、論理脳がしっかり出来上がってない
1年生にやらせる問題か?とも思う。
「応用問題だから」って言われたとしたら、気持ち悪いとさえ感じる。
もっといい応用問題はあるのではないか?と思う。
もっと算数らしい応用問題はあると思うのだが。

それを、国語力を交えた問題を算数の応用問題とするのはいかがなものだろうと思うのだ。

また、そういう大人なら「当たり前」の答えを導き出せる問題の解説は
しっかりして欲しいところ。子供にはまだ「当たり前」が出来上がっていない。
子供が問題を解いているところを目の当たりにしてこう言った状態に気づくわけだが、ベネッセは昔から子供向けの問題を作っている会社なのでそういう部分は理解して欲しいと思った。

もしかしたら、中学受験とかそういうのを意識した問題なのかもしれないけど、そういう基本とかけ離れすぎた応用問題は必要ないのではないか?と思う。

あと、もしこの問題を出したいのなら
「最も適切なものを答えよ」的な言い方なら良いかとも思う。
そうすれば、明らかにあの答えが正しいと言い切れる。
国語の問題っぽいけどね。。。

逆に同じ応用問題で、良い問題もあった。
それは下記の問題だ。



これは一つ一つ、問題を読んで、理解してイメージしていかないと答えは出ないが、先ほどのような変な国語力を混ぜたような曖昧な問題はない。
中途半端な答えもないし。  

(一つ注文をつけると、余白が少なくて、図を描く場所がないのが残念。もっとかける場所があったほうが良い。)

小1の場合、私たち大人が考えるよりまだ日本語に対して「当たり前」が理解できていない。
そういうレベルの段階で、さっきのような問題を答えさせるのはいかがなものだろうと思うのだ。

そういう意味で、ああいった問題が度々出てくるのなら、この応用問題をやる意味がないとさえ思う。
非常に注意が必要だ。 



それからもう一つ。
文章から足し算を導き出す問題はどうしてこうも順序を気にするのだろう。



「ひまわりが昨日3本、今日6本さきました。
全部で何本咲いたでしょう?」

この問題を試しに、6+3としたら不正解だった。
なぜだろう?

昨日、今日という順番を大事にしているのだが、それって足し算に大きな意味があるのだろうか?

ちなみに、
Aくんは3個、Bさんは5個お菓子を持っています。
合わせていくつですか?だと
5+3でも正解となる。

確かに、日本語の文章をそのまま式にするとその通りなのだが、「3+6でも、6+3でも同じ」と言う方が算数や数学では大事な気が私はするのだ。いろんなパターンの式が正解だったりするのが算数数学だし。     
私は数Ⅱ、数Bまでだが、一応習った身としてはそこを大事にする意味がわからないなと思ってしまう。
それって、数学に必要なものかな?って。
そこから先はやっていないから「もしかすると、この考え方が大事になっていくかもしれない」という場面があって、そこは私には想像できないのだけど、それをやる頃は多分頭の中ももっと論理脳になっていて、こういう順番とかはきちんと理解できるようになっていると思うのだ。

これも日本語の理解力が重要視されており、多分小学校高学年になれば当たり前として理解できる事で、それを小1の算数で不正解にする意味がわからないと思う。
どうしてダメなのだろうか?

まあ、息子は足し算の場合、出てくる順番に計算式を作ると思うのでこうやって逆に書く事はないのだろう。

今思うと、私のようなタイプ特有の疑問なのかもしれない。
私は子供の頃から、「どうしてこっちじゃいけないのか?」という事をいつも考えていた気がする。
そっちでも良さそうなのにそれに対して的確な解説がないので、腑に落ちないまま従うことが多かった気がする。特に公文や問題集の問題。日常生活ではあまりそういう細かいことに疑問を持たなかったが、公文式は年齢以上のものをやっていたからかやはりその年齢では理解が乏しくてそういう疑問がたくさんあったのかもしれない。それがすっきりしなくていつも親に難癖つけていた気がする。親もそれに答えられるだけ優秀ではなかったし、ネットもなかったから説明できなくていつもそんな感じだったのだろう。

問題集の問題というのはやはり癖がある。子供が納得できないものはきちんと説明してあげたいところだ。私も、先ほどの算数の問題の疑問に対して調べなきゃなと思った。 


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2016年08月12日

「午前と午後は何時間ずつ?」という問題から「だから1日24時間なんでしょ?」と繋がる想像力 知識+日常的実体験が理解につながる!

「午前と午後は何時間ずつ?」という問題が言葉クロスワードの問題集にあった。

小1の息子はあっさり
「12時間」と正解。
普通になんでわかったのか?気になって聞いたら、
「年中の頃から知ってるよ」
「なんで、どこで知ったの?」
「いや、時計も12までだし。
それに、だから12+12で、1日24時間なんでしょ?」

「えー!なんで1日24時間っていう知ってるの?」
「だからぁー。ママが年中くらいから何度もなんども言ってるじゃん!」

確かに何かの都度、話に出した事は多々あったかもしれないけど、覚えさせようとして教えた事はないし、この1年くらいその話したかな?

こういう当たり前の事って、やはり日常的に話しているかどうかで身につくものなんだなと思った。

それから、チャレンジタッチのオプションのデジタル小学生新聞の特別コンテンツでクイズと解説みたいのがあるのだが、そこにあった
「日本が12時だとしたらアメリカも12時?」というクイズがあり、息子は

「そんなの違うに決まってんじゃん!そんなの5歳の頃から知ってるよ!」と。

その頃、夫は今ほど海外出張なかったし、時差の少ない中国くらいなのでそういう影響ではなさそうだ。

多分私が地球は回っている話をしたり、日が上ったり沈んだりするのを実際に見ながら息子が「あっちの国は今朝なんだね!」と日の沈む方を見て自分の中でイメージしたりしていたが大きいなと思った。

更に、地球儀ビーチボールを都度みせていて、直接時差についての話はした事なかったと思うけど、息子の頭の中にはこの「地球が丸くて自転しているからこそ起こっている事」がしっかりイメージできているんだと思った。こっちが昼なら向こうは夜とか。

勿論ある程度イメージ力だとか、その子の素質によって異なるのかもしれないが、早くから基本的な実体験の伴う事象の法則は教えても良いのかなと思った。

実体験がないのに、知識だけ取り込むのはあまり効果がないと思うが、理科的現象は日常的に体験している事も多いし、社会の中で生きているので、社会のルールは日常的に知っている。

それを一概に「先に知るのはよくない」と言うのはナンセンスだし、逆になんでも早くから教えようとする必要もないなと改めて感じた。

何より知識というより、理解が大事なのかもしれない。知っている日常現象は知る事で理解が深まるのだ。

そう考えると、学校でやる「実験」や「実習」、又、「課外活動」などは「理解」する事が目的なのだろう。
「理解」という言葉は割と子供の頃から安易に使われる言葉だし、使い方について間違えている人も多くないだろうけれども、なんとなくふわりと使われているが為に自分も意識はしていなかったなと気づく。

ちなみに自分は無意識にある時期から1日24時間だとは気づいていたがいつからだかわからない。午前と午後の概念も漢字で習う2年生から薄っすらと覚えただけで、あまり気にした事がなかった。

更に私が幼児の頃は日本は海外今と比べ縁薄く、中国、アメリカ、ハワイくらいさか知らなかった。時間が違うなど位置情報もなければ考えた事なかった。

こういう知識があると、色々想像できたり頭の中で考えたりできるわけで、知っていた方がいいだろうとやはり思う。


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2016年08月10日

バカにしていた算数セットの計算カード意外と便利 これを使って戦いゴッコをやる

繰り上がり、繰り下がりの計算が覚えられない息子。
もう数やるしか覚えるようにならないとは思っているので、やらせる為に色々試してみた。

できない事をやるのが苦痛の完璧主義タイプの息子はこの苦手を克服する練習が大嫌い。親も大変。いかに嫌がらずできるかを模索し続けている。

小学校の夏休みの宿題で、計算カード(繰り上がり、繰り下がりなし)を毎日やるというのがあるのだが、繰り上がり繰り下がりのカードも一緒に入っていたし、なんか意外と使い勝手が良いので(混ぜこぜにできるし)夏休みを利用してこれを徹底的にやろうと考えた。

とはいえ、結構時間がかかる。
そして、何より集中力がすぐに切れる。なので、1人でやらせるのはやめた。

ところで、昨日楽しいやり方を思いついた。うちにはポケモンや妖怪ウォッチのぬいぐるみが沢山あるのだが、それらを戦わせる事にした。



息子が計算正解したら私のメガ進化ポケモンがダメージを食らう。実際、ぬいぐるみ同士で攻撃をする。逆に息子が間違えたら私のメガ進化ポケモンに攻撃される。適当なところでやられたら新たなメガ進化ポケモンにチェンジする。ポケモンリーグみたい。

細かいルールは決めていない。
細かいルールがあった方が夢中になるタイプだったら、例えばおはじきを分けて、それをHPとする。1回正解で1ダメージ。HP分のおはじきがなくなったらポケモンチェンジとか。細かいルールは色々考えてやればいい。

何より小学校低学年の男の子といえばこういう戦いが大好きなので、そんな細かいルールなくても喜んでくれる。

中には遊び要素が強いと更に集中できなくなる子もいるだろう。だから、みんながこのやり方に向くとは思えないけど、うちの子みたいには向いている。


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educa MaMa saya at 19:24|PermalinkComments(0)計算 | 楽しく学ぶ!

2016年08月09日

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)の母の手記を読んで思った事 繊細な子には「勉強でもなんでも良いので自信をつけさせるべき!」

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)の母の手記「『少年A』この子を産んで…」を妹が貸してくれたので読んだ。(こちらは相当昔の本。「 絶歌」は読んでいない)

これを読んでびっくりしたのは「前兆」と思われる事件などが、何度も何度も行われていた事。そして、それは小学校5年生の頃から目に見える形で始まっていたという事。

この手記にはいろんな批判があり、実際は母親のおかしな言動なども様々取り上げられているので、この本1冊読んだだけで全てを結論づける事はできない。

ただ、読んでいて思った事。
大きくなればなるほど、軌道修正は難しいという事。
それは、親子の関係だったり、少年の自分に対するイメージだったり。

大きくなってから何とかしようと相当努力すれば人は変われる。それは嘘ではないけれど、素直な心が生きている小学校3、4年の間に、心の歪みは、心の傷は癒し始めてあげないと後々大変な事になっていくのは間違いないと思えた。

私が個人的に思ったのは、まずこの少年Aは非常に繊細な性格に生まれた。ここはうちの息子とも被るのですごくよくわかるのだ。かなり、丁寧に育ててあげないと歪む可能性のある部類の子だ。ある意味凄くまっすぐで、まっすぐすぎて周りがついていけないくらい。

少年Aはかわいそうな事に、自分とは真逆の非常に鈍感な母の元に生まれ、更に年子の弟、更に2個下の弟がいる。
お父さんは仕事が忙しく家にはいない事も多く、子供には無関心だったという情報もネットにはある。
仮にお母さんの性格が鈍感でなくとも、お母さん1人で歳のかなり近い三人の息子を育てるというのは想像を絶する程の大変さだ。
上の子を放置せざるを得なくなるのは目に見える。厳しくなるのも仕方ない。

上の子ほど、ケアしないといけないという話は最近よく聞く。
上の子はどんどん奪われていく側の人間だから、「我慢しろ」というのはあまりに酷な話だと思うし。
まずそこはかなり少年Aに与えた影響は大きい。


そして、このフォローのない状況でお母さんはこの繊細な少年Aに対して、「勉強なんかできなくてもいい。社会に適応できる、世間に出して恥ずかしくない人間になってくれさえすれば、それでいいではないか。」と思って育てたそうだ。

ここも、問題は大きいなと私は考えている。
この少年Aのような繊細な子の場合、何か勉強でも、スポーツでも、絵や音楽でも一つでも自分はこれができるという自信を持たせてあげないといけないと思っている。

繊細である事は他の人とは違うということ。他の人より感じ易いという事は疎外感を感じやすいのだ。疎外感を感じていくと自分を守る為に「自分は特別な人間だ」とかある種の「選民意識」みたいのを持ち始める。

こういうタイプであっても、もし何か得意なことや好きな事などうち込めるものがあれば、そこに向かって人と違う自分を受け入れられた。でも、彼には打ち込むものがないから、「自分にはこれ」と言うのがないから、だから、この疎外感を攻撃的な物として表現するしかなかったのだろう。

そして、こういう繊細な子が勉強をやらされて良い成績だったり、音楽やスポーツをやらされて期待されて辛かった時、少年Aのように情緒不安定になる事はよくある事だと思うのだが、もし仮に何か得意な事があったとしよう。それが親にやらされていたとすると尚更反抗心が生まれる訳なのだが、その時もし得意な事があったら、「それを止めてやる!」と言う大きな反抗ができる訳だ。犯行にならずに。

少年Aの場合、Aのお母さんが 「社会に適応できる、世間に出して恥ずかしくない人間になってくれさえすれば、それでいいではないか」と言っていたので、それに対しての反抗とも言えるかもしれない。(社会に適応できる、世間に出して恥ずかしくない人間になってくれさえすれば、それでいいではないかなんて、ある意味勉強できる子になってほしいより求められている事のレベルが高いかもしれない)

疎外感を感じている者ならやはり自分が実は普通じゃない事をどこかカミングアウトしてやりたい気持ちに苛まれている。その表現方法として、「ドロップアウト」と言うカードが使えるのだ。

そしてそのカードは「誰かから期待されている」からこそ使う事ができるのだ。
誰からも期待されていない者が使っても見向きもされない。すると、振り向いてもらう為にとんでもない事をし始めるようになる。

そういう意味で、子供に対して「期待してるんだよ」と表現する事は大事であり、何か一つでも得意な事などを見つけて自信をつけさせてあげる事。これは非常に大事だと思う。


ちなみに私がこう、繊細な人の気持ちが想像できるのは自分自身がある時期突然この繊細な人間になり始めたからだ。
私の場合、2面性というか、繊細だったのは乳児の時期と中学生以降で、高校生くらいからは繊細な自分とずぼらな私が統合されてきた感じだ。

私が高校生の頃この事件は起こった。その時思った事は
「一歩間違えたら、自分も同じような事をしていたかもしれない」
と言う事だ。その時は寒気がした。息苦しくなった。

私だけでなく、多分こう思った子は他にも沢山いるだろう。それくらい、酒鬼薔薇聖斗予備軍はその辺にいるのであり、何も特別な事ではないと思う。

ある最悪な条件が揃いに揃ってしまったから酒鬼薔薇聖斗は生まれた。

その最悪な条件の一つに、
「親から人格面以外、期待されなかった事」と
「自信を持てる事や打ち込める事がなかった事」
があるのだろうと私は考えている。

母親が鈍感な性格から繊細な性格に変わる事はほぼ不可能。
歳の近い兄弟が沢山いて幼児期から自立を求められ厳しくされるというのは簡単には変えられない。

歳がくっついているなら下の子の年齢もあっという間に上がるので、手がかからなくなるのも早い。
もし、歳の近い下がいてフォローできなかったとしたら小学校半ばまでにはフォローしてあげたほうが良いだろう。

まだ、純粋な心を持って大人の話を聞けるうちに。


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saya
2児の母、教育ママ、
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家事嫌い、改善好き

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